嵐の夜だから
2016-12-03
長町は
漆黒のピアノに
指を落とす。
Waltz For Debby
ポロンポロンと
指がその曲を覚えているのだろう。
久しぶりに弾く曲の音は
堅さが次第に柔らかくなっていくのを
感じる。
優しい曲調が
先ほどの外の嵐の激しさを
忘れさせてくれるように。
そう願いながら
鍵盤を目で追い指で走らせる。
タワーマンションの高層階。
その夜は嵐で。
もうとても帰れないから
あきらめろと俺は言った。
明日は朝から鈴木と約束があるから
と相当ごねていた薪に
ちゃんと家まで送り届けるから。
と、薪を拝み倒して
ここに連れてきた。
一度だけ寝たのは。
こいつが情緒不安定だったから。
あれからずっと。
それだけの関係にしたくないと
俺は思っていた。
それなのに。
会えばあからさまに拒否反応を示して
逃げ回るこいつをやっと誘い
自分の家まで連れ込んだ。
この俺の手腕はなかなかのものだと
思う。
初めてこの部屋に来た薪は言った。
「品のいいバーラウンジみたいだな」
ああ。
さすがだね。
ソファに上着を脱ぎ棄てて
長町は嬉しそうに微笑んだ。
「・・・落ち着かない」
そう言って眉間に皺を寄せている
薪の心情とは相容れてないのに。
「まあ、その辺座って。適当に酒とか出して飲んで」
嵐の夜に。
嵐の夜だから。
素直についてきた同輩を
帰すつもりなど毛頭ない。
酔い覚ましに
ピアノを弾き始めると
薪が興味深そうに寄ってくる。
あれほど逃げ回ってたのに。
ピアノを弾きだしたら
興味深そうに近寄ってくる
薪を愛おしいと思った。
「お、おい、それ!」
一番高いブランデーを
旨そうに飲んでいる薪をみて
慌てる長町に
「いいから弾いてよ」
とピアノに寄りかかりながら
その指の動きを
その音の響きを
まるで酒を味わうかのように
気持ちよさそうに
聴きいっている。
まあ、いいか。
ため息もピンク色に染まるほどの。
そういう恋だ。
「ジャズ好きなのか。」
弾きながら
そう尋ねると
ああ。
と小さくうなずく。
本当は。
ネクタイを緩めて
腕まくりをしながら
ピアノを弾く長町の姿に
薪は見とれていた。
「なんでもできるんだな」
珍しくそう呟く薪は
所在なく立ったまま
俺を見つめている。
曲は
Alice in Wonderlandに変わり
「スタンダードな曲しかわからん」
と苦笑しながら
その割に慣れた手つきで
鍵盤の上に置かれた指は
嬉しそうに弾み続けた。
―――
「俺にもそれ、頂戴」
薪の右手のグラスを
右手ごと引き寄せて
一飲みすると
そのまま薪の唇を舐めるように
不意打ちの口づけをする。
少し眉を寄せ
苦々しい顔をしながら
つかの間の恋人の
顔を見上げた。
嫌がらないんだな
意外だ、という顔で
そういうと
もう一度口づけを交わす。
まるで
人形のような美しい顔をして。
まるで
人形のように意思など持たぬという顔をして。
俺を受け入れる。
不毛だ。
分かっているのに。
その不毛さ、さえも
手放すのが惜しい。
まるで人形を抱いているという
錯覚でもかまわない。
一夜の。
一夜限りの。
慰めでもかまわない。
愛しい誰かを想いながら
俺を必要としているのなら。
いくらでも
「薪が望むなら。好きなだけ弾くよ」
そう言って笑う。
僕を甘やかせ、僕を慰めるこの男の
その力強い腕に。
惹かれながらも。
その腕ではないことも
分かっている。
外はあんなに嵐だったのに。
複層ガラスのせいか音すら聞こえない
静けさの中で
この腕に抱かれる予感も。
それがいつしかなくなるであろうという
確信も。
全てピアノの音にかき消される。
溺れろ。
何もかも忘れて。
麻薬のように。
今はただ。
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コメント
ありがとうございます(≧▽≦)
ふみそさん、
こちらこそありがとうございます!
すごく嬉しいです。
大人の薪さんが、
ピアノに寄りかかって聴いている
シーンを描きたかったので
そう言っていただけて感無量です。
またいらっしゃって下さい(*^^*)
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薪さんはこういう大人っぽい場面が本当に映えるなぁと思います。
素敵な短編、ありがとうございました!